チガウ カラー | チガウカラー by Seedless

チガウカラー by Seedless

「色」をテーマに短くて抽象的なストーリーを紹介していきます。
光の角度によって違う輝きをみせる玉虫色のようなストーリー。
読む人の心の状態によって印象がかわり、決して完結しないため、結論は読み手がそれぞれの創造を膨らませて楽しめるように。

地上に人が住まなくなって随分な時がすぎた。

海の中でも土の上でも人の心が常に平穏である事はないらしい。

争いはやっぱり起こるし、欲望は果てしない。

結局どこにいってもユートピアなんてものはないのだろう。

かといって生きる事を放棄したいわけではない。

僕はいつ自分がこの世を離れてもいいなと思っている。

現在においても過去においても自分の生活には特に際立った不満もない。

でもいつもどこかで死のもたらす新しい可能性に期待している事実は否定しない。

以前まで、海の中での生活は地上の生活に比べて色の種類が少なかった。

青、緑、紫の寒色系を基調に太陽が昇っている間は少しだけ黄色、オレンジ色の暖かい色の

反射を楽しめた。

昔からある居住区などは壁も屋根も真っ白でまるで地上に人がいた頃のギリシャみたいだった。

最近になってピンクやオレンジなんかの元気な色をつかった家やビルが増えた。

熱帯魚のようなカラフルな色の改良型深海魚がペットとしては大人気だ。

街のトレンドはサンゴをレインボーカラーに染める事。

なので、ここへ来て急に街には色があふれだした。

そういえば、海での生活が始まった直後、世界の画家の人数が激減した何かに書いてあった。

普段目にする色の絶対数があきらかに地上より少なくなったからだろうか。

逆に音楽家はもっと細分化してきたみたいだ。

水の中での楽器の演奏は今までの音とは全く違いそれに夢中になった若いアーティストのお陰だ。

そんな音楽家の1人だった僕の最後の恋人とは3年くらい前に別れた。

恋人の名前はアンサ。

今アンサにはずっと年下の恋人がいるみたいだ。

アンサは前衛音楽家でここ最近一年の半分以上は大洋を又にかけてツアーで出かけている。

この間しばらく顔を出していなかったアンサの良く行く店に久しぶりに行ってみた。

街に居るときは木曜日にアンサがいつもそこに来ていることは知っていた。

何となく会いたく思って寄ってみたのだ。

はたしてアンサはそこにいて、旧インド洋下へ行った先月のツアー以来すっかりとりこになって

しまったという一見ラムネのボトルのような真珠色のビールをごちそうしてくれた。

今アンサが幸せかどうかを尋ねたら、少し沈黙した後、幸せだと答えた。

僕が幸せなのかとアンサは僕に尋ねなかった。

きっと尋ねて僕が幸せでないと答えるのが怖かったのだろう。

もしも幸せかどうかを尋ねられていたら、僕は何と答えただろう。

アンサの幸せだという返答を聞いた後だったら、きっとただ幸せだと答えただろう。

聞く前だったらきっと幸せでないという理由がみつからないから幸せなのだろうと答えたと思う。

それは僕らしい答えだった。

本当の答えはそっちだ。

自分が本当に幸せなのかどうかは分からないが不幸である理由も見つからない。

それは平たい意味でいえばきっと幸せの中に分類されるのだろう。

アンサと居た頃はいつでもなにをやるのも2人一緒だった。

それがいつの日か自然にお互いの日常になっていった。

と同時にそれは僕達2人にとって説明しがたいジレンマにもなった。

ここのところ一人で過ごす時間が楽しくて仕方ない。

例えば新しく出来た難破船を改装した美術館。

昔の潜水艦を使った映画館。

さまざまなイベントスケジュールを調べて興味のあるものをピックアップする。

毎週毎週その1週間のスケジュールを立てる。

1人で出かける醍醐味は当たり前だが時間が全て自分だけのためにあることだ。

自分の神経を自分の心の赴くままに尖らせてチューニングする。

自身の感性のアンテナに引っかかってくるあらゆる事象をくだらないおしゃべりで決して見逃したりしない。

別に人間嫌いなわけではないが、自分自信の余暇の時間はなるべく有効に使いたいと思うわけだ。

勿論たまには友達と騒いだりするのも大事なエンターテイメントだけれど。

何事もバランスが肝心だ。

流行の海草スナックでも食べながら映画を楽しんだり。
自分のアパートで新しい絵を制作したり。

エクレクティックな料理を開発したり。

楽しみはいくらでもある。 

でも、1人でいるのが楽しい1番の理由は純粋に1人を楽しんでいるからではないのだ。

2人でいられないから1人でいる事を選んだという消去法。

僕は今でもアンサが大好き。

でも本当に今でもアンサと一緒にいたいと思っているのかは疑問だ。

きっと少し疲れた、少し諦めた、少し冷めた状態が心地良いと思う時期にあるのだろう。

誰と一緒にいるのも多分疲れるだろう。

誰かと、いやその人と一緒にいるための努力をしたいと思えなければ

僕にとって一緒にいる意味は皆無だろう。

アンサの亡霊から本当に自分自身を自由にしたいと思えるまで。

それまでは1人で静かに時を過ごしたいと思っている。

これは永遠に続くのだろうか。

魂は常にめぐる。

輪廻転生は存在するだろう。

今世において悟りに達すればこの世のあらゆるまやかしに心を翻弄される事も2度とない。

心は常に平安だ。

そしてこれまでの輪廻の中で出会った誰とも2度と会う事はないだろう。

死がもたらす新しい可能性に胸踊るくらいの期待をするようになったのは。

アンサと別れる前からだったのか、それとも後からだったのか。

それももう覚えていない。

アパートには開かずのボックスがたくさんあった。

それは緑だったり薄いブルーだったり真っ白だったり様々だった。

共通点はあの引越し以来戸棚にしまわれて空けられることもないままだったこと。

別に特にその棚を開くことに消極的だったわけではないのだけれど。

アンサと別れて今のアパートに引っ越した。

そのときに身の回りにすぐに必要ないものは適当に仕分けされた。

それらは色とりどりのボックスへしまわれてその棚へならべられた。



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